不老不死の妙薬 試すつもりで、飲み続けて40年
昭和30年代からもう60年近く、毎日、朝食にココアを飲んでいるんですよ。もぅずっと、朝の食事はパンに果物、チーズとココアというメニュー。これを始めたきっかけというのは、戦後、アメリカからチョコレートの起源について書かれた小さな本を輸入してもらいましてね。この本に、カカオの豆は人間の健康のための必需品だということが善かれていたんです。16 世紀のアステカの王様、モンテスマといったかな、この人は、カカオを不老不死の妙薬として、臼でひいて水で溶いた飲み物を飲んでいたというんですよ。
私はこの不老不死ということに、非常に関心を持った。ちょうど当社でココアの粉も試験的に作り始めた時期で、粉は自分の所で手に入るんだから、ひとつ試してみようと思ったんです。きちんとした試験というのではないから、何年間と決めて始めたわけでもない、ただ朝食にココアという簡単李」とだつたから続けられて、結局、今日まできているんですよ。
健康体で健康診断でも異常なし
この6月で満百歳になります。60年間飲み続けたココアのおかげもあってか、今でもとても元気に毎日を過ごしていますよ。60歳くらいの頃からは毎年、人間ドックに入って検査してもらっていたんですよ。15年間くらいは年1回、行っていました。ところがどこも悪い所がをいもんで、担当の先生が「ドックは、3年に1 回くらいでいいですよ」と。ですから、今は月々の簡単な健康診断だけしか受けていません。血が少し薄い、といっても普通の女性並みの数字らしいんだけどね。それ以外、特にどこも悪いところはないんですよ。
カカオとのつきあいは大正時代から
私がそもそも、ココアの原料であるカカオというものとつき合うようになったのは、大正時代のことで、私は20代の半ばでした。それまで菓子の卸問屋をやっていたんだが、卸をやっているよりも自分で菓子を作りたい、と思うようになってね。大正の初めに森永さんが国産チョコレートを出されて、ちょうど少しずつ庶民のロにも入るようになってきた時代で、これから手がけるならチョコレートが先々、一番おもしろいんじゃないか、と考えた。
で、大正10年頃からチョコレート製造の事業を計画していたんです。大正12年の2月に森永さん、今の森永製菓の初代に当たる森永さんにお目にかかる機会があって、いろいろご教示いただいてね。そして大震災のあと、外国から機械を入れたりして、本格的にチョコレートを作るようになったわけです。
テオブロミンの効能は戦時中から浸透していた
当時は、カカオの栄養的に優れた面にっいては、特に知りもしなかったし、あまり関心もありませんでしたよ。それが戦時中に国の厚生省から、「カカオを扱設備を持っているのだから研究に協力してほしい」と言われましてね。カカオに含まれるテオブロミンという成分を抽出する研究でした。
戦争による経済封鎖でテオブロミンが入手できなくなって、国産のものが必要になったというわけです。テオブロミンは今、ココアのブームの中で注目を浴びている成分のひとつで、集中力を高めたり、血圧を安定させたり、という効果が認められています。戦争当時、すでにその薬効がわかっていたんでしょう。航空食といって、パイロットのための携帯用食糧や普通の薬としても使われていたようです。厚生省の技官と一緒に研究しましてね。結局、そのための工場が稼働し始めたのは終戦の翌年でしたが、それから13年間、大東製薬という別会社でテオブロミンを生産しました。
かれこれ70年以上、カカオにかかわってきて、最近のココアブームは、嬉しいことですね。長い間には苦労もあったけれど、努力が実って、おかげさまで当社も今は多忙でね。私も生涯の目的の半ばは達したかな、という心境です。商売でやってきたこととはいえ、やはりチョコレートやココアが好きだったんですよね。カカオの魅力に惹かれ続けてきたという感じですね。
私の飲んでいるココアは、ごく普通の配合のものですよ。ただ、深めの鍋を使って、よく練ったココアを牛乳に俗かして、泡立つまでしっかりと沸かしています。こうしてていねいにいれたココアは、泡が口当たり良くて、おいしいのはもちろんですが、ココアの体にいい成分も、よく溶けて吸収されやすくなるそうですよ。