新型インフルエンザ 考え方 と行動

新型インフルエンザ 考え方 についてです。もう少し薬依存の社会から正常な社会に戻るにはどうしたらいいのでしょうか?自分の免疫力を高めていくことではないでしょうか?

新型インフルエンザ 考え方 身体の体の対応力について

ここ数年、インフルエンザ騒動は、冬の風物詩のようになっています。20099年は春先ころから、

  • 今回の新型は、感染力が強い
  • 日本は新しいワクチンの開発が遅れている

と、マスコミは連日報じていました。

「なぜ、こんなに大騒ぎするのだろう? と冷ややかに見ていた医師も多いはずです。2003~2004年にかけての第1次インフルエンザ騒動のときには、「タミフルが足りない」 と日本中がパニックになりました。

「子どもが夜中に熱を出したら一刻も早く病院に行け。すぐにタミフルを飲まないとインフルエンザ脳症になるぞ!」と、大変な騒ぎでした。

ところが2007年になると「タミフルを飲むと頭がおかしくなる。これはタミフル脳症だ⊥ という声が挙がってきましたた。救世主のはずのクスリが、副作用によって一夜にして悪役になったのです。
そもそもタミフルという薬の取扱説明書には、以下のような驚くべき注意書きが記されているのです。

  1. 「警告」本剤の使用にあたっては、本剤の必要性を慎重に検討すること。
  2. 一般にインフルエンザウィルス感染症は自然治癒する疾患であり、患者によってはインフルエンザウイルスに感染しても軽度の臨床症状で済み、抗ウィルス剤が必要ない場合がある。
  3. 重大な副作用(頻度不明) として、ショック、アナフィラキシー様症状、肺炎、肝炎、肝機能障害、黄痘、皮膚粘膜限症候群、中毒性皮膚壊死症、急性腎不全、白血球減少、血小板減少、意識障害、異常行動などの精神・神経症状などです。

タミフルはインフルエンザウィルスの増殖を阻止することで、その効果をもたらし、実際には発熱期間を1日短縮することが証明されています。

つまり、インフルエンザはタミフルを使わなくても自然治癒する病気であり、頻度不明の重大な副作用もありうる。そしてその効果は発熱期間を1日だけ短縮することということになります。

さて、いかがでしょう。あなたはこれを読んでタミフルを飲みたくなりますか?唯一のメリットは、たった1日だけ、「発熱している日」を短くできること。それ以外はデメリットばかりの薬であることが、奇しくもその薬自体の説明書に書かれているわけです。

こうした事実を知らない人々がタミフル欲しさに病院に押しかけ、その事実を知ってか知らずか、無闇に与える医者がいる。これほど恐ろしいことはありません。

そして2009年、新たなタイプのインフルエンザの流行に伴って「特効薬はいつできるんだ!」と世の中がふたたび騒がしくなっていきました。

タミフルであれだけ痛い思いをしたにもかかわらず、また薬です。率直なところ「いいかげんに目を覚ましましょうよ」ということです。

基本的に多くの病気は薬の必要なしだという医師もいます。身体に薬を入れて熟を下げたり痛みを取ったりすることは、人間の自然な機能を無理やりコントロールすることであり、そこには必ず歪み(副作用) が出てくるからです。

タミフルの説明書にもある通り、薬を飲まなくても休息をとればインフルエンザは治るし、むしろ重大な副作用の方が深刻な問題なのです。そこを考えずに薬に飛びついてしまう悪い習慣を、日本人はそろそろ改めるべきなのです。
サイト名:自分の免疫力で治す
こういった情報がなかなか広まらないのは、やはり医師が処方箋を出すことで経済がまわってしまっているからでしょう。

さらに言うなら、病気に対して臆病になりすぎるのも薬依存に拍車をかけている原因と考えられます。実際には普通の風邪であれインフルエンザであれ、一度かかってしまえば免疫力が養われ、その後は病気に怯えることなく生活することができます。

したがって、積極的に病気にかかることを勧めるわけではありませんが、従来型、新型を問わずインフルエンザが流行ったならば、しつかりかかってしまえばいいのです。そして自分の身体の中にきっちりと抗体をつくり、病気に対する免疫力を養っておくことです。そんな心構えを持ってさえいれば、毎年繰り返される「インフルエンザ騒動」に惑わされることなく、平常心で生活できます。

つまりインフルエンザに感染することを、あまり大袈裟に考えること自体が問題なのです。もちろんウィルスは遺伝子変位を起こしやすいので、その抗体が次のシーズンのものに有効かどうかわかりませんが、その時はその時で、また感染すればいいのです。少し乱暴に思えるかも知れませんが、元来、人間は、そんなふうにして生きてきたのです。冬になり、空気が乾燥して風邪が流行れば、それは「仕方のないこと」だと誰もが考えて、その流行を受け入れて生活してきたはずです。

ところが今は「感染しちゃいけない」「予防摂取は行ったか」、挙句の果てには「放置すれば死んでしまうぞ」とマスコミが煽りたて、不確かな情報を頭にたくさん詰め込んで、あまりにも臆病になりすぎているのです。

その結果、誰もが副作用のことをすっかり忘れて闇雲に薬を求めるようになってしまう結果になってしまいました。これはもう、病気に対する「感性の退化」とも言えばいいのでしょうか?

インフルエンザのワクチンはウィルスの活動を多少鈍らせるだけで、病気を治癒する効き目はないことは、すでに医学上の常識です。実際にはリスクの方が心配であるにもかかわらず、その薬が足りるか否かばかりに一喜一憂するのは、あまりにも不思議です。
大事なことは、病と向き合いつつ身体の声に耳を傾けながら、正しい感性を取り戻し、薬に頼らない生き方をすることです。病気に怯えない楽しい毎日は、そこから始まります。

人間の身体は38億年かけてつくられた進化の結晶

いま日本で深刻な問題となっているものが2つあります。それは「少子高齢化」と「医者不足」。どちらも密接に結びついた問題です。

加齢とともに身体のあちらこちらが悲鳴を上げ始めて「さっそく病院に行かなくちゃ」と出かけていくお年寄り。ところがどうでしょう。病院に行けば同じような思いを抱えた人たちが待合室に溢れかえっているのです。予約をしても2時間、3時間待たされるのは当たり前です。

その一方で大事なわが子を連れたお母さんたちの姿もあちらこちらに見受けられます。これがいま、病院の待合室で幅を利かせている2大勢力といってもいいでしょう。こうした光景を目にして思うのは「この中で、どれだけの人が医者にかかるべき深刻な問題を抱えているのだろうか」ということです。

一般的に多くの人は薬不要でそして医者いらずで過ごせるはずです。薬や医者の存在を完全否定するつもりはありません。大きなケガをしたり、急性疾患の場合には、医療の存在は必要不可欠です。。
しかし、少々の体調不良で薬や医者を頼ることには賛成できません。なんとなく胸が苦しい感じがするとか、子どもが熟を出したとか。少しこうした症状があるだけでやみくもに病院に駆け込んでいたのでは、医者の数も足りなくなって当然です。

今から10年前の2007年虔のOECDの調査によれば、日本人の年間平均受診回数は13.8回で、OECD諸国の平均6.8回と比べて2倍以上です。
さらにスウェーデンの2.8回やスイスの3.4回に比べると、日本人の「無類の医者好き」はいささか異常です。

「そんなことを言われても、当事者は不安なわけだから」と思う人もいるでしょう。その間いに対して「人間の身体はそんなにヤワにはできていないのです。

人体は、38億年という気の遠くなるような年月の積み重ねによって少しずつ進化し、環境に適応してきた精妙極まりない生命体です。この間には異常気象に伴った温暖化があり、氷河期があり、その中で人類以外の多くの生物が死滅していきました。

またさらに、ろくに薬もない時代にペストやコレラのような疫病が流行り、戦争があり、それでも生き残ってきたのが私たちです。

つまり人類は、その時代時代において医学を究めた達人や特効薬の力を借りずとも、自分の力で生き抜く「対応力」を身につけてきたということです。

その正体が免疫力です。にもかかわらず、多くの人はその力を忘れて病院で順番待ちをしているのです。あまりにももったいない現状です。

私たちの体は実に巧妙な進化の結晶なのです。その血圧や発熱の調整能力を過小評価し、自力では病気に歯止めをかけられない、と思い込むのは間違いです。

確かにお年寄りにとって血圧が高いのは心配の種に違いないでしょう。しかし少しくらい血圧が高くても、ちょっとした心配事があったり、興奮したりして一時的に数値が上がっているだけ、というケースも少なくないのです。

むしろ「血圧高め」は元気で生きるための条件です。人類が長い時間をかけて培ってきた「免疫力」の力を信じて、正しい生き方を選択すれば、病院で順番待ちをしなくても元気な毎日を過ごせることは間違いありません。

降圧剤とばんやりした人生の関係

お年寄りの場合、体調が優れず病院に行って血圧が高ければ、医者は即座に「降圧剤で様子を見ましょうか」と宣言します。なぜ血圧が高いのか、これは一時的な数値なのかなど、その原因を追究してくれることは極めてまれで、ほとんどの場合は「本能性高血圧症」という病名をつけられて処方箋をもらっておしまいです。

原因を明らかにせずに降圧剤を投与するのは、けっきょくのところ対処療法ですので病気が治ることはありません。薬の力で一時的に血圧を抑え、体調不良に歯止めをかけることができたとしても、それは何の解決にもならないのです。

もし根本的に高血圧を改善しようと思うのなら、まずは今の症状の原因を見極めることが必要です。ここで1つ種明かしをすれば、実はこの高血圧の原因のほとんどは、生き方の偏りからくる自律神経の歪みから引き起こされるのです。

たとえば、来る日も来る日も仕事が忙しく、その上いろいろな責任を与えられて悩んでいたとしましょう。こうした人は例にもれず自律神経を支える交感神経が緊張状態になっています。いわば神経そのものが「ピーン 」と張りつめた糸のような状態です。

人はこの状態に陥ると脈拍がどんどん速くなり、血流は増え、血行が良くなります。いわゆるこれが血圧が高い状態です。よく顔を真っ赤にして怒っている人を「頭に血が昇っている」といいますが、あれなどはまさしく血圧の針が限界以上に振り切られている状態と考えて間違いありません。

しかしここまではよくあること。恐いのは、この状態が限度を越えて長く続いた場合です。あまりにも長く交感神経緊張の状態が続くと、心臓や血管に負担がかかり、狭心症や不整脈の症状が出てくる場合も少なくありません。

そしてこの状態にさらに負担がかかると、心筋梗塞やくも膜下出血、脳卒中といった決定的な病気に発展していく危険性が極めて高いといわれています。

肝心なのは、どのレベルで踏みとどまれるかです。どこが我慢の限界なのかは当事者にしか分かりません。「疲れてるな」と思ったら、そこで思い切って休養をとるとか、「頭にきたな」と思っても、どこかで「仕方がないや」と諦める。自分の身体の声を聞いて生き方を変えて対処するのが、病気にならない秘訣です。

とはいえ、あまり血圧の数値にとらわれすぎるのもよろしくありません。今の医療では血圧の上限が140 mmHG と言われていますが、この数値はどう考えても納得できるものではありません。

私の知人に親知らずを抜こうと思って歯科に行ったところ、血圧 160 mmHG 以下でないと抜歯してくれないといわれた人がいます。結局その人は薬で血圧を抑えてようやく歯を抜いてもらったというのです

160 mmHG くらいの血圧がなければ、気迫なんて生まれてきません。気迫がなければいい仕事などできないし、人間関係でちょっとしたストレスを感じただけで人を避けてしまおうとするはずです。

先ごろ新聞に「人間ドッグに入った受診者の9割に何らかの異常が見受けられた」という記事が載っていました。これは笑い話以外の何物でもありません。なぜなら人間ドッグに入る人というのはみな現役で働いている人ばかりです。

中には日ごろから体調が優れなかった人もいるでしょうが、ほとんどは自分に異常があるなどとは考えずピンピン働いていた人たちのはずです。その人たちの9割に異常値が出るというのは、検査値の設定自体に問題があるとしか思えません。つまり、世間でいわれる「正常な数値」というのは、案外あてにはなりません。そんな不確かな基準に怯えながら生活することほどバカらしいことはありません。

高齢社会といわれるいま、これからはお年寄りが活躍する場がもっともっと増えてくるでしょう。そうした中で生き生きと人生を送るためには気迫がなくてはなりません。にもかかわらず、降圧剤の力で無理やり血圧を下げる人が増えれば、世の中には気迫のない、ぼんやりした人生を送るお年寄りが溢れてしまいます。

いずれ認知症になるでしょう。それはあまりにもったいない。血圧は病気の目安であると同時に、人生を生き生きと過ごすバロメーターであることも忘れてはいけません。

身体の発する悲鳴を薬で消すな

インフルエンザしかり高血圧しかり、大事なことは病気の気配を、どれだけ敏感に察知する感性を持ち続けるかです。

風邪の前触れには悪寒や関節の痛みがあります。血圧が高くなれば肩が凝ったり胸が締め付けられるような感覚が生まれます。こうした状態がとても嫌なものであることはよく分かりますし、手っ取り早く薬を飲んでこの嫌な感覚を取り除きたいという気持ちも理解できます。

しかし、それでは何の解決にもなりません。これらはすべて、身体があげる悲鳴です。病気に蝕まれた身体の苦しまぎれの叫びではなく、生き方自体の間違いを警告するシグナルです。

病気に負けない健やかな毎日を過ごすためには、このシグナルを正しく察知しなくてはなりません。これはお年寄りに限ったことではなく、働き盛りでたいへんな頑張り屋のお父さんが、ある日脳卒中で倒れ下半身不随になってしまうケースなど、決して珍しいものではありません。

少々のことで仕事を休むわけにはいかないりビジネスパーソンなら誰だってそう考えることでしょう。

しかしながら、そこに大きな落とし穴があるのです。「少々のこと」と思っていたのが、実は大きな病気の入り口だったという例はいくらでもあります。せっかく身体が「あなたの生き方は間違っています」とシグナルを発しているのに、それを無視して突き進み「これくらい薬を飲めばすぐ治るさ」と一時しのぎの薬に手を出し身体を休めることがない。

いかに頑張り屋のお父さんといえども、これではあまり賢い生き方とはいえません。

身体の発するシグナルを察知したら、人はどこかで踏みとどまることが大事です。

時には「こんなに真面目にやってたら身体が幾つあっても足りないよ」というくらいの気持ちで心と身体のバランスをとりましょう。もちろん仕事は次々に押し寄せてきますが、「絶対に6時に帰る! 」という気迫を持ってやれば、できないことはありません。急に「6時に帰る」のは無理な人でも、毎日30分早く帰るだけでも、ずいぶん違うはずです。

身体が悲鳴を上げたら、まずは30分早く仕事を切り上げて身体を休める。そういう工夫をする方が、医者や薬に頼るよりも、ずっと賢い生き方です。

自分の頭で考えてわが身を守るエ夫が大事

「養生の術を学んで、よくわが身をたもつべし。長生きすれば、楽多く益多し」という言葉をご存知でしょうか。これは、長生きすることが養生の目的ではなく、老後を楽しく過ごすために養生することが大事、と説いた江戸時代の儒学者・貝原益軒の人生哲学です。貝原益軒という人は、幼少のころからたいへんな読書家で博識であったといわれています。しかしながら、書物から得る知識だけにとらわれず、自分の足で歩き、目で見て手で触り、あるいは口にすることで確かめるという実証主義を貫いた学者であったといわれています。

そんな益軒が83歳の時に自らの実体験に基づいて書いた「養生訓」には、君子の「三楽」にちなんで、養生という視点から次の3 つを挙げています。

  1. 道を行い、善をつむこと
  2. 病にかかることのないのを快く楽しむこと
  3. 長寿を全うすることを楽しむこと

またこれらのことを実現するための条件として益軒は、季節の暑さ、寒さ、湿度などの変化に敏感になり、自らがしっかりと体調管理を行うことが大事なことであると記しています。
これらはすべて益軒が日ごろの生活の中で実践したことであり、また彼の妻もそのままに実践し、晩年も夫婦で物見遊山にでかけたりしながら睦まじく長生きしたということです。

さて、いかがでしょう?「人生50年」といわれた江戸時代に、80代になっても溌刺として日本中を旅していた夫婦がいる。これは驚くべきことではないでしょうか。

彼らが楽しみながら長寿を全うできたのは、自らの感性に基づいて、暑さ寒さに対応する養生の智恵を備えていたからに他なりません。

残念なことに、いまの日本人は自分の頭で考えてわが身を守る工夫を疎かにしがちです。医療の進化によって、薬や医者を過信しすぎ、自分で自分の身体の状態をチェックし、何かトラブルや不調があっても、大きな病気にならないように工夫して生活するということを忘れてしまっています。

これはとても危険なことです。もともと人間は、自分の健泉を自分の力で守ってきたのです。私たちは、そろそろその原点に立ち返るべきなのです。
免疫力

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