老化の進み方の個人差について

気力と寿命の法則

新潟県長岡市の隆泉寺に良寛の像が立っており、その像は良寛さまが亡くなる2、3年前の姿を再現した像だといわれています。良寛は73歳で他界しているので、70歳くらいの姿でしょう。

背中が丸くなって首が「ちょこん」と突き出している。身体を鍛えなくなった老人そのものです。同じ時代を生きた益軒の立ち居ふるまいと比べると、10歳以上若い良寛の姿は随分と枯れ果てて感じられます。
いまの日本では、若者の中にも背中を丸め、首が突き出した「良寛さまスタイル」がずいぶんいます。若者に対する苦言はひとまず措くとして、人間の寿命は「自分はもう歳だ」、「あと何年生きられるかな」などと、周りの人にしみじみと話し始めたときから、だいたい2 、3年後に尽きるようにできています。

良寛の詠んだ和歌も70歳前後に、能力の低下や身体の不調を綴ったものが多くなっています。その2、3年後に図ったように亡くなっているのです。裏を返せば、何歳でも、「自分はまだまだ先が長い」と考えて、常に身体を鍛えることを怠らない人は、その通りに長生きできるのです。

いつまでも若々しく過ごせる人と、一気に老け込む人の違いはまさにここです。「病は気から」といいますが、積極的に社会とかかわり、ウォーキングなりストレッチなりで日ごろから身体を鍛えていれば、実年齢はいくつでも身体に活力が漲ってくるのです。

あなたはいかがでしょう?自分の能力の低下をしみじみと人に語ったりしてはいませんか? 背中を丸めて、首を前に突き出して歩いていないでしょうか。これを読んで、そんな自分に思い至った人がいるなら、日々の暮らしの中からそのマイナス思考をさっそく取り除いてください。

加齢に伴う能力低下を盛んに訴えて「良寛さまスタイル」になる人と、「まだやれる」と信じて、能力を維持する努力を続ける人とでは、これからの人生に大きな差がついてきます。

人生の終え方

いま日本には、寝たきりや認知症、虚弱などのために介護を必要とするお年寄りが200~300万人以上もいます。2025年には約520 万人にもなるといわれています。

ブラジルの奥地アマゾン川の流域には、今でも原住民のインディオたちが暮らしています。老いも若きもいるわけですが、寝たきりのお年寄りが1人もいないのです。その地域では、老人が体調を崩して寝込んでしまったら、枕元に食べ物は置いておくけれど、口まで運んであげる世話はしない。

つまり本人が自力で食べることができれば回復する場合もあるが、食べられなければ衰弱して死んでしまうということです。もしこれを日本でやったら法律上犯罪にもなりかねないし、「なんてかわいそうなことをするんだ! 」と世間から大バッシングを受けるでしょう。

でも、私には「ほんとうにそうだろうか? 」という疑問があるのです。あちこちに管を入れられて、家族に面倒をかけながら薬漬けになって生かされたところで、何ひとつ幸せではないだろうなと。

「ああ、そろそろお迎えが来るな」と悟ったら、自分自身で徐々に食事の量を減らしていって最後は食器や箸を処分し、食事をとらなくする。そして「もう十分人生を全うしました」といって誰にも迷惑をかけることなく「パタツ」と逝く。

そんな慎み深い最期を迎えることが「死に方のルール」だと私は思うのです。こういう最期を迎えるためには身体を鍛えておくことが大事です。
矛盾していると思うかもしれませんが、ある程度の歳になても健康でい続けるには、気力が不可欠です。気力がなければ、運動など面倒くさくてしなくなります。

もうひとつ大事なのは、食べすぎないことです。身体が快調でいられる分だけ食べ、気力を充実させて健康をキープするという人生を送って、ある年齢になると、自然に食が細くなっていきます。

これが「そろそろお迎え」という、いわば天からのサインなのですが、普段から食べすぎていると、このサインに気づけません。適量の食事をしているから気づける。こういう人こそ、元気に活動して、夜寝て、翌朝になったら亡くなつていたという、最も穏やかな最期を迎えられるのです。

気力が萎え、運動もせず不健康な身体で薬漬けになり、いくつになっても「食べすぎ」という生活をしていると、とてもこんな最期は迎えられません。
これからの日本は介護問題がより深刻になるでしょうが、手厚い介護を求めるのではなく、介護を受けないですむような人生の終焉を、自分の力で作り出すことの方が何倍も大事ではないでしょうか。

上半身を鍛えよう、歩くだけじゃタメ

健康のために歩いている、ウォーキングをしているという人は多いのではありませんか?もちろん歩くのはすばらしいことですが、それだけでは少々不十分だと私は考えています。

というのは、ウォーキングしかしていない人に、気迫を感じさせる人は、私の周りにはいないからです。気迫がなければ、健康に生きていくことはできない、というのが私の考え方です。では、どうすればいいか。私は自分の経験からも、上半身を鍛えることをおすすめしています。考えてみれば、頭、首、肺、心臓、内臓など、どれも上半身です。

上半身、とくに体幹を中心とした上半身の強化をしましょう。体幹とは、腰、おなか、背中を軸とした上半身を支える部分をいいます。
ここが弱っていると人間の上体は正常なバランスを保つことができません。上体のバランスが崩れると下半身の片方に体重がかかることとなり、股関節や膝の故障の原因になるのです。

また、背中の肩甲骨から首筋にかけての血のめぐりが悪くなり慢性的な肩こりの原因ともなります。さらに上半身が弱ってくると、それに伴って内臓が弱ってきて、食欲が減退したり食べたものが消化されにくくなったりと、さまざまな悪影響が出てきます。

上半身を鍛える最も手軽な方法は、どんな時も意識的に姿勢を正すということです。「なんだ、そんな簡単なことなのか」と思う方は一度チャレンジしてみてください。これがなかなか苦痛です。

最初のうちは意識して背筋を伸ばせていても、腹筋と背筋の弱い人はこの姿勢をキープすることができません。また、ボクサーがやるシャドーボクシングなども効果的です。その場合、腰を軸にして左右のパンチを繰り出します。パンチを出すときは息をはき、もどすときに息を吸い込む。そんな運動を毎日3分間行うだけで、早い人なら1ヶ月、どんなに遅く3ヶ月もすれば上半身のキレはみるみる変わっていくはずです。こうした運動に加えて、正しいウォーキングを組み合わせていければ理想的です。

最初は10分、15分、20分と徐々に伸ばしていけば、半年後の体調は俄然変わっていくことは間違いないでしょう。ただし何をするにしても、無理は禁物です。少しでも「苦しいな」とか「痛いな」と思ったら、その日は運動はやめて、身体を休ませることが肝心です。健康な身体を求めるがあまり疲れた身体にムチ打って、体調を崩してしまってはまるで本末転倒です。

自分の免疫力をしっかり作用させて、10年後、20年後に備えよう

ひところ「自己責任」という言葉が流行りましたが、健康な身体をキープするのはまさに自己責任の最たるものです。

そして、その責任を果たす上で欠かせないのが「免疫力」です。自分の身体が発するシグナルに敏感になって、疲れが溜まっているようなら、30分でもいいから仕事を早めに終わらせてしっかり休む。正しい知識をもって身体を鍛える。そして、その場しのぎの症状緩和を求めるのではなく、できるだけ薬や医者とは無縁の生き方を選ぶなど。自分の力でしっかりした免疫力を身につけて、5年、10年、20年先と、いつまでも健やかな毎日を過ごせるような心がけが大事です。

特に、男性群にはこの考え方が大切です。この心がけを忘れてちょっとした身体の不具合で薬に走ってしまえば、どれだけ頑強な身体の持ち主であってもあちこちに綻びが出てきます。

薬は病を治すものではなく、少しずつ身体を蝕んでいくものであることを忘れてはなりません。病気に対する免疫をつけてくれると誤解されているワクチンは、実のところ非常に力が弱く、ほとんど気休めといってもいいでしょう。

にもかかわらず多くの人が「ワクチンさえ打っていれば安心」と思い込んでいる。これほど危険なことはありません。ほとんどのインフルエンザワクチンは卵の成分を原料につくられているため、アレルギーのある人の中には、アレルギー脳炎を起して脳性麻痺になってしまうケースも少なくないのです。

またワクチンを打って身体の中に無理矢理に免疫をつくつてしまうと、いつまでも本当の免疫力が根づくことなく、他の病気にかかって苦しむことになるというケースがあります。

これを「ワクチノーシス」といい、現代の子どもたちが病がん気をしやすくなったり大人がガンにかかりやすくなった原因の一端はここにあると考えられています。
こうした事実を知れば、病気の予防は「自分の身体の中にある力を活性化させるしかない」ということが自ずと分かってくるはずです。「薬から免疫力へ」キーワードはこれです。健やかに長寿を全うしたいなら、この発想の転換が何より大事です。

新型インフルエンザと日本人の考え方と行動

身体の体の対応力について

ここ数年、インフルエンザ騒動は、冬の風物詩のようになっています。20099年は春先ころから、

  • 今回の新型は、感染力が強い
  • 日本は新しいワクチンの開発が遅れている

と、マスコミは連日報じていました。

「なぜ、こんなに大騒ぎするのだろう? と冷ややかに見ていた医師も多いはずです。2003~2004年にかけての第1次インフルエンザ騒動のときには、「タミフルが足りない」 と日本中がパニックになりました。

「子どもが夜中に熱を出したら一刻も早く病院に行け。すぐにタミフルを飲まないとインフルエンザ脳症になるぞ!」と、大変な騒ぎでした。

ところが2007年になると「タミフルを飲むと頭がおかしくなる。これはタミフル脳症だ⊥ という声が挙がってきましたた。救世主のはずのクスリが、副作用によって一夜にして悪役になったのです。
そもそもタミフルという薬の取扱説明書には、以下のような驚くべき注意書きが記されているのです。

  1. 「警告」本剤の使用にあたっては、本剤の必要性を慎重に検討すること。
  2. 一般にインフルエンザウィルス感染症は自然治癒する疾患であり、患者によってはインフルエンザウイルスに感染しても軽度の臨床症状で済み、抗ウィルス剤が必要ない場合がある。
  3. 重大な副作用(頻度不明) として、ショック、アナフィラキシー様症状、肺炎、肝炎、肝機能障害、黄痘、皮膚粘膜限症候群、中毒性皮膚壊死症、急性腎不全、白血球減少、血小板減少、意識障害、異常行動などの精神・神経症状などです。

タミフルはインフルエンザウィルスの増殖を阻止することで、その効果をもたらし、実際には発熱期間を1日短縮することが証明されています。

つまり、インフルエンザはタミフルを使わなくても自然治癒する病気であり、頻度不明の重大な副作用もありうる。そしてその効果は発熱期間を1日だけ短縮することということになります。

さて、いかがでしょう。あなたはこれを読んでタミフルを飲みたくなりますか?唯一のメリットは、たった1日だけ、「発熱している日」を短くできること。それ以外はデメリットばかりの薬であることが、奇しくもその薬自体の説明書に書かれているわけです。

こうした事実を知らない人々がタミフル欲しさに病院に押しかけ、その事実を知ってか知らずか、無闇に与える医者がいる。これほど恐ろしいことはありません。

そして2009年、新たなタイプのインフルエンザの流行に伴って「特効薬はいつできるんだ!」と世の中がふたたび騒がしくなっていきました。

タミフルであれだけ痛い思いをしたにもかかわらず、また薬です。率直なところ「いいかげんに目を覚ましましょうよ」ということです。

基本的に多くの病気は薬の必要なしだという医師もいます。身体に薬を入れて熟を下げたり痛みを取ったりすることは、人間の自然な機能を無理やりコントロールすることであり、そこには必ず歪み(副作用) が出てくるからです。

タミフルの説明書にもある通り、薬を飲まなくても休息をとればインフルエンザは治るし、むしろ重大な副作用の方が深刻な問題なのです。そこを考えずに薬に飛びついてしまう悪い習慣を、日本人はそろそろ改めるべきなのです。
サイト名:自分の免疫力で治す
こういった情報がなかなか広まらないのは、やはり医師が処方箋を出すことで経済がまわってしまっているからでしょう。

さらに言うなら、病気に対して臆病になりすぎるのも薬依存に拍車をかけている原因と考えられます。実際には普通の風邪であれインフルエンザであれ、一度かかってしまえば免疫力が養われ、その後は病気に怯えることなく生活することができます。

したがって、積極的に病気にかかることを勧めるわけではありませんが、従来型、新型を問わずインフルエンザが流行ったならば、しつかりかかってしまえばいいのです。そして自分の身体の中にきっちりと抗体をつくり、病気に対する免疫力を養っておくことです。そんな心構えを持ってさえいれば、毎年繰り返される「インフルエンザ騒動」に惑わされることなく、平常心で生活できます。

つまりインフルエンザに感染することを、あまり大袈裟に考えること自体が問題なのです。もちろんウィルスは遺伝子変位を起こしやすいので、その抗体が次のシーズンのものに有効かどうかわかりませんが、その時はその時で、また感染すればいいのです。少し乱暴に思えるかも知れませんが、元来、人間は、そんなふうにして生きてきたのです。冬になり、空気が乾燥して風邪が流行れば、それは「仕方のないこと」だと誰もが考えて、その流行を受け入れて生活してきたはずです。

ところが今は「感染しちゃいけない」「予防摂取は行ったか」、挙句の果てには「放置すれば死んでしまうぞ」とマスコミが煽りたて、不確かな情報を頭にたくさん詰め込んで、あまりにも臆病になりすぎているのです。

その結果、誰もが副作用のことをすっかり忘れて闇雲に薬を求めるようになってしまう結果になってしまいました。これはもう、病気に対する「感性の退化」とも言えばいいのでしょうか?

インフルエンザのワクチンはウィルスの活動を多少鈍らせるだけで、病気を治癒する効き目はないことは、すでに医学上の常識です。実際にはリスクの方が心配であるにもかかわらず、その薬が足りるか否かばかりに一喜一憂するのは、あまりにも不思議です。
大事なことは、病と向き合いつつ身体の声に耳を傾けながら、正しい感性を取り戻し、薬に頼らない生き方をすることです。病気に怯えない楽しい毎日は、そこから始まります。

人間の身体は38億年かけてつくられた進化の結晶

いま日本で深刻な問題となっているものが2つあります。それは「少子高齢化」と「医者不足」。どちらも密接に結びついた問題です。
加齢とともに身体のあちらこちらが悲鳴を上げ始めて「さっそく病院に行かなくちゃ」と出かけていくお年寄り。ところがどうでしょう。病院に行けば同じような思いを抱えた人たちが待合室に溢れかえっているのです。予約をしても2時間、3時間待たされるのは当たり前です。

その一方で大事なわが子を連れたお母さんたちの姿もあちらこちらに見受けられます。これがいま、病院の待合室で幅を利かせている2大勢力といってもいいでしょう。こうした光景を目にして思うのは「この中で、どれだけの人が医者にかかるべき深刻な問題を抱えているのだろうか」ということです。

一般的に多くの人は薬不要でそして医者いらずで過ごせるはずです。薬や医者の存在を完全否定するつもりはありません。大きなケガをしたり、急性疾患の場合には、医療の存在は必要不可欠です。。
しかし、少々の体調不良で薬や医者を頼ることには賛成できません。なんとなく胸が苦しい感じがするとか、子どもが熟を出したとか。少しこうした症状があるだけでやみくもに病院に駆け込んでいたのでは、医者の数も足りなくなって当然です。

今から10年前の2007年虔のOECDの調査によれば、日本人の年間平均受診回数は13.8回で、OECD諸国の平均6.8回と比べて2倍以上です。
さらにスウェーデンの2.8回やスイスの3.4回に比べると、日本人の「無類の医者好き」はいささか異常です。

「そんなことを言われても、当事者は不安なわけだから」と思う人もいるでしょう。その間いに対して「人間の身体はそんなにヤワにはできていないのです。

人体は、38億年という気の遠くなるような年月の積み重ねによって少しずつ進化し、環境に適応してきた精妙極まりない生命体です。この間には異常気象に伴った温暖化があり、氷河期があり、その中で人類以外の多くの生物が死滅していきました。

またさらに、ろくに薬もない時代にペストやコレラのような疫病が流行り、戦争があり、それでも生き残ってきたのが私たちです。

つまり人類は、その時代時代において医学を究めた達人や特効薬の力を借りずとも、自分の力で生き抜く「対応力」を身につけてきたということです。

その正体が免疫力です。にもかかわらず、多くの人はその力を忘れて病院で順番待ちをしているのです。あまりにももったいない現状です。

私たちの体は実に巧妙な進化の結晶なのです。その血圧や発熱の調整能力を過小評価し、自力では病気に歯止めをかけられない、と思い込むのは間違いです。

確かにお年寄りにとって血圧が高いのは心配の種に違いないでしょう。しかし少しくらい血圧が高くても、ちょっとした心配事があったり、興奮したりして一時的に数値が上がっているだけ、というケースも少なくないのです。

むしろ「血圧高め」は元気で生きるための条件です。人類が長い時間をかけて培ってきた「免疫力」の力を信じて、正しい生き方を選択すれば、病院で順番待ちをしなくても元気な毎日を過ごせることは間違いありません。

降圧剤とばんやりした人生の関係

お年寄りの場合、体調が優れず病院に行って血圧が高ければ、医者は即座に「降圧剤で様子を見ましょうか」と宣言します。なぜ血圧が高いのか、これは一時的な数値なのかなど、その原因を追究してくれることは極めてまれで、ほとんどの場合は「本能性高血圧症」という病名をつけられて処方箋をもらっておしまいです。

原因を明らかにせずに降圧剤を投与するのは、けっきょくのところ対処療法ですので病気が治ることはありません。薬の力で一時的に血圧を抑え、体調不良に歯止めをかけることができたとしても、それは何の解決にもならないのです。

もし根本的に高血圧を改善しようと思うのなら、まずは今の症状の原因を見極めることが必要です。ここで1つ種明かしをすれば、実はこの高血圧の原因のほとんどは、生き方の偏りからくる自律神経の歪みから引き起こされるのです。

たとえば、来る日も来る日も仕事が忙しく、その上いろいろな責任を与えられて悩んでいたとしましょう。こうした人は例にもれず自律神経を支える交感神経が緊張状態になっています。いわば神経そのものが「ピーン 」と張りつめた糸のような状態です。

人はこの状態に陥ると脈拍がどんどん速くなり、血流は増え、血行が良くなります。いわゆるこれが血圧が高い状態です。よく顔を真っ赤にして怒っている人を「頭に血が昇っている」といいますが、あれなどはまさしく血圧の針が限界以上に振り切られている状態と考えて間違いありません。

しかしここまではよくあること。恐いのは、この状態が限度を越えて長く続いた場合です。あまりにも長く交感神経緊張の状態が続くと、心臓や血管に負担がかかり、狭心症や不整脈の症状が出てくる場合も少なくありません。

そしてこの状態にさらに負担がかかると、心筋梗塞やくも膜下出血、脳卒中といった決定的な病気に発展していく危険性が極めて高いといわれています。

肝心なのは、どのレベルで踏みとどまれるかです。どこが我慢の限界なのかは当事者にしか分かりません。「疲れてるな」と思ったら、そこで思い切って休養をとるとか、「頭にきたな」と思っても、どこかで「仕方がないや」と諦める。自分の身体の声を聞いて生き方を変えて対処するのが、病気にならない秘訣です。

とはいえ、あまり血圧の数値にとらわれすぎるのもよろしくありません。今の医療では血圧の上限が140 mmHGと言われていますが、この数値はどう考えても納得できるものではありません。

私の知人に親知らずを抜こうと思って歯科に行ったところ、血圧160 mmHG以下でないと抜歯してくれないといわれた人がいます。結局その人は薬で血圧を抑えてようやく歯を抜いてもらったというのです

160 mmHGくらいの血圧がなければ、気迫なんて生まれてきません。気迫がなければいい仕事などできないし、人間関係でちょっとしたストレスを感じただけで人を避けてしまおうとするはずです。

先ごろ新聞に「人間ドッグに入った受診者の9割に何らかの異常が見受けられた」という記事が載っていました。これは笑い話以外の何物でもありません。なぜなら人間ドッグに入る人というのはみな現役で働いている人ばかりです。

中には日ごろから体調が優れなかった人もいるでしょうが、ほとんどは自分に異常があるなどとは考えずピンピン働いていた人たちのはずです。その人たちの9割に異常値が出るというのは、検査値の設定自体に問題があるとしか思えません。つまり、世間でいわれる「正常な数値」というのは、案外あてにはなりません。そんな不確かな基準に怯えながら生活することほどバカらしいことはありません。

高齢社会といわれるいま、これからはお年寄りが活躍する場がもっともっと増えてくるでしょう。そうした中で生き生きと人生を送るためには気迫がなくてはなりません。にもかかわらず、降圧剤の力で無理やり血圧を下げる人が増えれば、世の中には気迫のない、ぼんやりした人生を送るお年寄りが溢れてしまいます。

いずれ認知症になるでしょう。それはあまりにもったいない。血圧は病気の目安であると同時に、人生を生き生きと過ごすバロメーターであることも忘れてはいけません。

身体の発する悲鳴を薬で消すな

インフルエンザしかり高血圧しかり、大事なことは病気の気配を、どれだけ敏感に察知する感性を持ち続けるかです。風邪の前触れには悪寒や関節の痛みがあります。血圧が高くなれば肩が凝ったり胸が締め付けられるような感覚が生まれます。こうした状態がとても嫌なものであることはよく分かりますし、手っ取り早く薬を飲んでこの嫌な感覚を取り除きたいという気持ちも理解できます。
しかし、それでは何の解決にもなりません。これらはすべて、身体があげる悲鳴です。病気に蝕まれた身体の苦しまぎれの叫びではなく、生き方自体の間違いを警告するシグナルです。

病気に負けない健やかな毎日を過ごすためには、このシグナルを正しく察知しなくてはなりません。これはお年寄りに限ったことではなく、働き盛りでたいへんな頑張り屋のお父さんが、ある日脳卒中で倒れ下半身不随になってしまうケースなど、決して珍しいものではありません。

少々のことで仕事を休むわけにはいかないりビジネスパーソンなら誰だってそう考えることでしょう。しかしながら、そこに大きな落とし穴があるのです。「少々のこと」と思っていたのが、実は大きな病気の入り口だったという例はいくらでもあります。せっかく身体が「あなたの生き方は間違っています」とシグナルを発しているのに、それを無視して突き進み「これくらい薬を飲めばすぐ治るさ」と一時しのぎの薬に手を出し身体を休めることがない。いかに頑張り屋のお父さんといえども、これではあまり賢い生き方とはいえません。

身体の発するシグナルを察知したら、人はどこかで踏みとどまることが大事です。時には「こんなに真面目にやってたら身体が幾つあっても足りないよ」というくらいの気持ちで心と身体のバランスをとりましょう。もちろん仕事は次々に押し寄せてきますが、「絶対に6時に帰る! 」という気迫を持ってやれば、できないことはありません。急に「6時に帰る」のは無理な人でも、毎日30分早く帰るだけでも、ずいぶん違うはずです。
身体が悲鳴を上げたら、まずは30分早く仕事を切り上げて身体を休める。そういう工夫をする方が、医者や薬に頼るよりも、ずっと賢い生き方です。

自分の頭で考えてわが身を守るエ夫が大事

「養生の術を学んで、よくわが身をたもつべし。長生きすれば、楽多く益多し」という言葉をご存知でしょうか。これは、長生きすることが養生の目的ではなく、老後を楽しく過ごすために養生することが大事、と説いた江戸時代の儒学者・貝原益軒の人生哲学です。貝原益軒という人は、幼少のころからたいへんな読書家で博識であったといわれています。しかしながら、書物から得る知識だけにとらわれず、自分の足で歩き、目で見て手で触り、あるいは口にすることで確かめるという実証主義を貫いた学者であったといわれています。

そんな益軒が83歳の時に自らの実体験に基づいて書いた「養生訓」には、君子の「三楽」にちなんで、養生という視点から次の3 つを挙げています。

  1. 道を行い、善をつむこと
  2. 病にかかることのないのを快く楽しむこと
  3. 長寿を全うすることを楽しむこと

またこれらのことを実現するための条件として益軒は、季節の暑さ、寒さ、湿度などの変化に敏感になり、自らがしっかりと体調管理を行うことが大事なことであると記しています。
これらはすべて益軒が日ごろの生活の中で実践したことであり、また彼の妻もそのままに実践し、晩年も夫婦で物見遊山にでかけたりしながら睦まじく長生きしたということです。

さて、いかがでしょう?「人生50年」といわれた江戸時代に、80代になっても溌刺として日本中を旅していた夫婦がいる。これは驚くべきことではないでしょうか。

彼らが楽しみながら長寿を全うできたのは、自らの感性に基づいて、暑さ寒さに対応する養生の智恵を備えていたからに他なりません。
残念なことに、いまの日本人は自分の頭で考えてわが身を守る工夫を疎かにしがちです。医療の進化によって、薬や医者を過信しすぎ、自分で自分の身体の状態をチェックし、何かトラブルや不調があっても、大きな病気にならないように工夫して生活するということを忘れてしまっています。
これはとても危険なことです。もともと人間は、自分の健泉を自分の力で守ってきたのです。私たちは、そろそろその原点に立ち返るべきなのです。